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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第3節 仮面の下 [10]




 無力さを突きつけられたのは、自分だけではない。だが、その現実の受け止め方が、智論と慎二ではズレている。
 慎二は、彼女に好意を持っていたワケではない。その存在すら、事が起こるまで知らなかった。
 彼女に対する思いは、申し訳ないという罪の意識か?
 いや、少し違うような気がする。むしろ裏切られたという落胆。
 女性に対する不信感を抱かせた、少女によく似た境遇の少女。彼女に何を期待している?
 思わず額に手を当てる。
 何を期待していようと、傷つけてはいけないだろうっ
 グルグルと答えの出ない疑問だけが、頭の中を駆け巡る。
「慎二っ」
 諌めるように呟く。
 お願いだから、誰かを泣かせるような事だけはしないでっ!
 心の中で叫んだ時だった。
「おや?」
 実に間の抜けた声。その声音が場にそぐわず、だから二人とも飛び上がった。
「そんなに驚かれても……」
 二人の態度に目を丸くし、軽くあげた右手を所在無げに彷徨わせながら首を傾げる。
「まだこんなところにいたのか?」
 そう言って霞流慎二は、木崎へ視線を投げた。
「まだ食事を取ってなかったのか? お前の部屋にも準備してあったはずだが」
「あっ はぁ」
「もう冷めてしまったんじゃないのか? もったいない。美味しかったのに」
 ねぇ と言って振り返る先で、美鶴が曖昧に笑っている。
 綺麗に着付けられた浴衣に足元をフラつかせながら、用意された下駄の鼻緒に親指を通していたところだった。
「でっ 出かけられるのですか?」
「あぁ」
 木崎の問いかけにも軽く答え、美鶴が履き終わったのを確認してニッコリと笑う。
「遠出はしないよ。ちょっと桂川沿いを歩くだけさ」
「こんな時間に?」
「まだ八時だよ」
「川沿いは涼しゅうございますよ」
 後ろから若女将(わかおかみ)らしき女性。
「と、いうコトさ」
 慎二はやんわりと腕を組む。
 こちらは気楽な普段着だ。
「もう真っ暗よ。店もほとんど閉まってるだろうし、危なくない?」
「ちょっと渡月橋辺りまでだよ」
「でも」
 眉を潜める智論の仕草に肩を竦め、チラリと後ろの美鶴へ視線を投げる。
「この旅館、風雅なのは良いが、十代の女性には些か物淋し過ぎると思わないかい?」
「でも…… 疲れてない?」
 覗き見るような智論の視線に、美鶴はどう答えてよいのかわからず、言葉に詰まる。
「疲れているなら、無理に付き合わなくていいのよ」
「あっ 別に、無理ってワケじゃないし」
「おいおい、まるで僕が無理に連れ出そうとしてるみたいじゃないか」
「違うの?」
「あんまりだな」
 心底傷ついたような表情。
「いくら僕でも、女性に無理を強いるようなコトは、しないよ」
 瞬間っ 二人の視線が火花を散らす。慎二と――― 智論っ!
 だが、その視線に気付いたのは、わずか木崎だけ。
 智論の瞳をしれっと交わし、組んだ腕を解き、今度はやんわりと美鶴の肩に手を置いた。
「すぐに戻ってくるさ」
 心配するなよ。
 そう付け足して、スルリと美鶴を外へ誘導する。
「慎二っ」
 諦め悪く声をかける智論へ向かって、旅館の女性のやわらかな声。
「大丈夫でございますよ。渡月橋なら他にも観光客はおりましょう。涼を求めて川沿いを歩く人も、まだこの時間ならおりますよ」
 宥められるように声をかけられ、智論はぐぅっと口を曲げた。







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